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加賀みちこは加賀まりこの妹ではなくていとこだったような気がしますザ・ヒットパレードのアシスタントをやっていた記憶がありますが?
調べてみたら加賀美知子は母方のいとこでした。シャボン玉ホリディのカバーガールもやっていてすごく可愛かったという話です。情報ありがとうございます。
懐かしい音源 ありがとうございます。プラネッツの卒業解散コンサート 確か渋谷公会堂だったと思いますが、高校生の時に行きました。
Excellent sharing and performance my friends....Bernard
今から20-25年位前の2000年前後に シンコーミュージック出版が「エレキ・ギター・ブック」という雑誌を数カ月おきに発刊しておりまして、20冊ぐらい出たでしょうか。この中で日本のエレキギターについて、その勃興から盛り上がっていく様子について書かれた記事が連載されておりました。この中で「慶応大学風林火山杯争奪戦」も取り上げられておりました。なので、↑のライブがあったことは存じておりましたが、まさかその時の音源があって、2024年の今になって披露されることになるとはビックリ、想定外ですわ。とっても楽しませてもらいました。ありがとうございます。 こうなったら、この連載記事にその名が出てきました当時の大学生のインストバンド 立教大学のビートニクスの音源もあるのかなあと思ってしまいます。↑のプラネッツの岩崎さんと堤さんって 加山さんのランチャーズのメンバーとなった時期がありましたね。
ビートニクスの音源、複数保存しています。フジテレビのエレキ合戦での演奏は近々アップロードします。プライベートな録音はメンバーの許可を得てからと思います。
この世代より10年ほど後の世代ですが、今聞きますと当時アメリカのベンチャーズが初来日した1965年当時日本のアマチュアバンドはもう本家を超えた演奏内容だったのですね。当時は寺内タケシとブルージーンズしか聞く音源はありませんでしたが、楽器、機材は現代のものとは比較にもなりませんが、演奏力、アレンジ力は現代のVバンド系、寺内バンド系なんかは足元にも及ばない先見性とオリジナリテイを感じさせます。特にその後の日本のロックギターの教祖となられた成毛茂氏は当時から寺内タケシよりギターすごいものをもっていました。惜しいかなエレキバンドミュージックがその後に衰退した原因はこのような勝ち抜きエレキ合戦とうにみられるショー番組化による消費された感はありますね。
見るからに品の有る成毛滋さんも堤光生さんも慶應でした。高校時代 私も品の良い慶應ボーイに成ってバンドを・・ と思っていましたが、その後2年ほどで気が変わって、気品とはちょっと縁遠い早稲田の応援部に入っちゃいました。
加賀みちこは加賀まりこの妹ではなくていとこだったような気がします
ザ・ヒットパレードのアシスタントをやっていた記憶がありますが?
調べてみたら加賀美知子は母方のいとこでした。シャボン玉ホリディのカバーガールもやっていてすごく可愛かったという話です。情報ありがとうございます。
懐かしい音源 ありがとうございます。
プラネッツの卒業解散コンサート 確か渋谷公会堂だったと思いますが、高校生の時に行きました。
Excellent sharing and performance my friends....Bernard
今から20-25年位前の2000年前後に シンコーミュージック出版が「エレキ・ギター・ブック」という雑誌を数カ月おきに発刊しておりまして、20冊ぐらい出たでしょうか。この中で日本のエレキギターについて、その勃興から盛り上がっていく様子について書かれた記事が連載されておりました。この中で「慶応大学風林火山杯争奪戦」も取り上げられておりました。なので、↑のライブがあったことは存じておりましたが、まさかその時の音源があって、2024年の今になって披露されることになるとはビックリ、想定外ですわ。とっても楽しませてもらいました。ありがとうございます。 こうなったら、この連載記事にその名が出てきました当時の大学生のインストバンド 立教大学のビートニクスの音源もあるのかなあと思ってしまいます。↑のプラネッツの岩崎さんと堤さんって 加山さんのランチャーズのメンバーとなった時期がありましたね。
ビートニクスの音源、複数保存しています。フジテレビのエレキ合戦での演奏は近々アップロードします。プライベートな録音はメンバーの許可を得てからと思います。
この世代より10年ほど後の世代ですが、今聞きますと当時アメリカのベンチャーズが初来日した1965年当時日本のアマチュアバンドはもう本家を超えた演奏内容だったのですね。当時は寺内タケシとブルージーンズしか聞く音源はありませんでしたが、楽器、機材は現代のものとは比較にもなりませんが、演奏力、アレンジ力は現代のVバンド系、寺内バンド系なんかは足元にも及ばない先見性とオリジナリテイを感じさせます。特にその後の日本のロックギターの教祖となられた成毛茂氏は当時から寺内タケシよりギターすごいものをもっていました。惜しいかなエレキバンドミュージックがその後に衰退した原因はこのような勝ち抜きエレキ合戦とうにみられるショー番組化による消費された感はありますね。
見るからに品の有る成毛滋さんも堤光生さんも慶應でした。
高校時代 私も品の良い慶應ボーイに成ってバンドを・・ と思っていましたが、
その後2年ほどで気が変わって、気品とはちょっと縁遠い早稲田の応援部に入っちゃいました。